―・Kisa Asano・―
「委員長」という呼び名には、もうとうに馴れていた。
小学生の頃、学期始めのクラス委員会決めで学級委員長だけが空いていた時、私は気付いたら立候補していた。自分で言うのもなんだけど、私は昔から正義感や責任感がやたら強かった。だから、誰かがやらなくちゃいけない、だけど誰もやらないのなら私がやろうって思ったことを、今でも覚えている。
そして学級委員長という仕事にやりがいと魅力を感じた私は、以来真っ先に委員長に立候補するようになった。その為だろう、私と付き合いの長い友だちや、彼らから私のことを聞いた――毎年立候補しているということ――新しいクラスメイトも、親しみを込めて私のことを「委員長」と呼ぶ。中には皮肉でそう呼ばれることもあるけど私は気にしない。いずれにしても私は委員長なのだし、私に、自分は委員長だという自覚を持たせてくれる。それに、みんなにそう呼ばれるということは みんなが私を委員長だと認め、頼ってくれているのだと。私にそう思わせてくれる支えだった。
私はこの役職に誇りと尊厳を持っている。だからこれからも続けるつもりだ。
そんな私だけど、これでも普通の女の子であると信じている。友だちにカレシができれば羨ましいとも思うし、経験を済ませたと聞けば少しくらい想像だってしてしまうものだ。だけど、私にはいまひとつ、欠けているものがあった。
そう、女としての魅力。
で、あると思う。いや、確信を持とう。
何せ、もうかれこれ十年目だ。私は十九回、学級委員長に立候補してきたし、与えられた仕事は全て求められた以上の成果を挙げてこなしてきた。そんなキャリアウーマンっぷりが、同世代の男子からはかなり敬遠されて見られていることを自覚していた。
けれども。私としても、今まで男子に魅力を感じることは無かった。学年でどんなにかっこいい男子がサッカー部のレギュラーだろうと、野球部の四番バッターだろうと、周りの女の子たちのようにキャーキャー騒ぐような気分にはなったことが無かった。姉さんによると、私は委員長という仕事に恋をしていたんだと言う。
それとその姉さんがかつて、学校で一番女子に人気があると言われるいわゆる二枚目スポーツ少年(先輩)に白昼堂々廊下で告白されたことがあった。その時 当然のように喧騒に包まれた廊下だったが、そこに次の瞬間 姉さんは静寂を走らせた。なんと相手の男子の、一番入れてはいけない所に膝蹴りを入れたのだ。
この、後に禁門事件と名付けられたそれは、私に男子が寄り付かない理由に相乗効果をもたらした。曰く、私に告白しても彼と同じ目に遭わされるという噂が流布したのだ。
因みに私たちが中一の時である。
結果、青きに満ちた中学生活はまったく男っ気がなく、委員会と部活に明け暮れることで幕を閉じた。それはそれで有意義ではあったけど、だけど私だって友だちみたいな恋愛をしたかった。
そう思って卒業した中学。うちの学校の場合、正確に言えば中等部だけど、とにかく高校に上がったら少しは変えようと決意した。高等部になれば外部生も入ってくる。できることなら彼らに禁門事件が伝わらない内に、私の人生に何かの変化をもたらしたいと。
例えば誰かに一目惚れするとか。例えば彼が副委員長になるとか。例えばふたりで放課後残って仕事を片付けるとか。例えばそれがキッカケで付き合うことになる、とか。
そんなご都合主義にも程がある妄想を膨らませていた恥ずかしい私こと「委員長」だけど、世の中ってのは不思議なもので、今私がいる状況はまさにその妄想そのままだった。
ことは、新しいクラスになったら定番の自己紹介から始まる。
教卓の前に立った彼を見て、私は固まった。私の目は彼から離れず、全ての思考が飛んだ。お陰で自己紹介の内容は覚えていない。当然、その時は彼の名前を知ることはできなかった。
次の日。クラス役員決めが行われた。私のいるクラスでは毎年、副委員長の席が空白のまま時間が過ぎるのだけれど、彼は何回か他の委員会の抽選にハズレた後そこへ立候補した。副委員長になったのだ。
今まで、余った副委員長の席はクジ引きで決められていて、誰かが立候補するなどということは一度も無かった。だけど彼は自ら副委員長に名乗り出たのだ。それが彼の第一希望でなかったにしても、私が彼に惹かれる想いに拍車をかける理由には十分すぎた。
それ以来、席替えでは運良く隣になれたり、委員会や勉強のことで話し合ったりと、私の高校生活は幸せなスタートを切った。
でも、まだ満足したわけじゃない。そう、せっかく手に入れたチャンスを無下にはできない。人生初めての浮いた話だけど、浮かれてばかりいては話にならない。下手をすれば、何もせぬまま撃沈してしまう。それだけは、どうしても避けたいことだ。
そして今。放課後の教室で、先日あった学校行事についてのアンケート結果の集計作業をしている。ここまで、私が思い描いていた"例えばな妄想"がそのまま現実になっている。
正直、緊張でいっぱいだ。彼が読み上げるみんなのアンケートを「正」の字で数えているけど、間違っていない自信が全然無い。というか、これで平静を保てという方が無理というものだ。
「浅野?」
浅野。そういえば、彼は何故か、私のことを苗字で呼ぶ。
「おい、浅野。」
私は、彼にとって「委員長」ではないのだろうか。
もしそうだとしたら、私って彼にどう思われて――
「あ・さ・の!」
「イタっ。」
頭を小突かれた。彼・坂本くんに。
あ・・・・・・、って、いま、彼に触られた?
いや、お、落ち着こう。動揺したら、絶対ヘンに思われる。
「あの、な、なんで叩くのかな。」
「お前がボケッとしてるからだ。……調子悪いんなら帰っていいぞ。残りも少ないし、後は俺がやる。」
「あ、いや、ごめん。考えごとに耽ってしまったもので。」
「珍しいな。」
「そんなこともないさ。」
「………………。」
そこで彼は訝しげとも不機嫌とも取れる表情で私を睨む。
「えっと、なにかな。」
「浅野ってさ、変な喋り方だよな。」
「そう、か・・・い?」
「や、変だろ。日常的じゃないし。まるで昔の小説だよ。」
それには、理由がある。私がこんな喋り方をしてるのは、坂本くんの前で少しでも平常心を保つ為。前に誰かが言ってたんだ。緊張した時は気分を変えるといい、気分を変えれば落ち着くって。だから私は、初めて彼に話した時口調を変えてみた。口調が変われば気分も変わると思ったからだ。それで咄嗟に出たのが、その喋り方だった訳で。
でも、実際私の気の持ちようはそれでうまくいった。だけどやっぱり、彼にしてみれば変だったみたい。でも彼は今まで何も言わなかったから、ずっと続けてきたのだけど。
「おかしい、かな。私としては、結構気に入ってるんだけど。」
最早、この喋り方でないと坂本くんとうまく話せないかもというジンクスが、私の中で生まれつつあった。
「……ま、気に入ってるんなら強く文句言わないけどさ。でも、なんで俺に対してだけそうなんだ?それが気になる。」
「え、えっと、それは……。」
どうしよう。そこまで気付かれていた。どうする?流れに任せて、このままコクハク・・・・・・いや、やめよう。今の私は、変な喋り方の委員長でしかない。そんなの、絶対振られるに決まってる。
「別に、そんなことはいいじゃないか。気にしないで。」
「う〜ん。釈然としないな。」
ごめん、坂本くん。と心の中で深謝する。
でもいつまでも坂本くんが唸っているので、私は話のネタにと、あらかじめ考えていた話題を挙げることにした。
「と、ところでさ。私の姉がもうすぐ誕生日なんだ。今年は特に、ホラ、高校入って初めてだから、気の効いた物を贈りたいと思うのだけど、何がいいと思うかな?」
急に話題が変わったので、彼の反応は少し遅かったけど、答えは早かった。
「何と聞かれてもな。俺は浅野の姉貴じゃないから好みも分からんし。」
「そう、だよね。ごめん。」
あれ、怒らせちゃったかな。なんか、語気が荒い。
「悩むくらいなら直接訊けばいいじゃないか。」
でも、坂本くんはもうひとこと続けてくれた。だから、私はもう少し繋げようと努力する。
「さ・・・君は、サプライズというものを知らないのか。何を貰うか分からないから、楽しみなんじゃないか。」
「姉妹にサプライズも何もないと思うが。」
気のせいか、坂本くんは会話を長引かせたくないのだろうか。
「だから余計に気を遣うんじゃないか。察してくれ。」
「なるほど。」
やっぱり、彼との会話はいつも長続きしない。私とはあまり話したくないのかな。私が、「委員長」だから。
「ところでいつ買うつもりなんだ?」
「え?」
ごめん、聞いてなかった。
「何が?」
「いま言ってたプレゼント。いつ買うのさ。」
「えっと、来週の水曜日がそうだから明日か明後日にでもと思ったんだけど。・・・・・・なんで?」
「確かに、時間がないな。分かった。そんなに悩んでるんなら手を貸すよ。」
「え?」
いま、何て言った?
「明日は俺も暇だからさ。買い物手伝うよ。」
「……え?」
「え?、って。や、そこまで必要ないならいいんだけど。」
あ、ちょっと待って、要る!要る!!えっと、なんて言えば・・・・・・えぇとっ。
「え、いや、そんな!ね、願ってもないこ、ここっ、ことっ・・・・・・だ、だよ!あ、あの、ほんとに、・・・・・・あ、ありがとう。」
か、噛んだ・・・・・・。
「ぷっ。変なヤツ。なら、微力ながらお手伝いさせて頂くよ。」
「う、うん。」
恥ずかしい。でも、それ以上に、嬉しさが遥かに上回っていた。
そして翌日、土曜日。待ち合わせの三十分前・九時半には、私はもう待ち合わせ場所である商店街東の時計台下に来ていた。
「はぁぁああぁぁ・・・・・・ ・・・・・・。」
だ、ダメだ。緊張する。未だかつて無い程のこの緊張感に、心臓がどうにかなってしまいそう。今坂本くんに声掛けられたら、・・・・・・私、生きていられるかな。
だって、これっていわゆるデート、ってことになるんじゃないか。しかも、誘ってくれたのは坂本くん。これって、期待してもいいの、だろうか。いや、でも。もしかしたら全然そんなこと無いかもしれない。だって、坂本くんは誰にでも優しいから・・・・・・。
「はああうあぁぁああぁぁ・・・・・・ ・・・・・・。」
やめよう、期待するのは。よし、落ち着け、私。あくまでも自然に、だ。・・・その割には、私服に気合いを入れすぎたかもしれないけど。
「さっきより長いため息が出たな。そんなに深刻なのか、プレゼント問題。」
「!!」
「おはよ。」
「きゃあぁ!!」
気付けば、坂本くんを殴っていた。
「お、おはよう。ごめん。・・・・・・えっと、いつ来たの?」
「ん、時間は見てなかったけど、ここの反対側で待ってた。そしたらこっちから聞き覚えのある声、というかため息が聞こえたから。」
ボッ!と、また顔が赤くなった気がした。
「それにしても、いきなりパンチはないだろ。」
「うん。ごめん。反省してます。」
それはもう、死んでしまいたいくらいに。
.
.
.
「大丈夫か?あまり元気ないみたいだけど。」
「・・・・・・うん、なんともない。」
「あの、パンチのことは全然気にしてないから。急に声掛けた俺も悪かったし。」
「うん、ごめんね。」
謝る。けれども、坂本くんの顔を見れないでいる。今朝から、ずっと。彼の顔を見る代わりに、謝っている。彼の顔を見れないから。
「ごめん。」
「や、いいけど。……それよか、ま、よかったな。姉貴さんにあげるもの買えて。」
「・・・・・・うん。」
「………。なあ。お前、俺のこと嫌いか?」
「何言って――!?」
「や、悪かったよ。ごめんな。差し出がましいことばかりして。」
違う!坂本くんは、悪くない。悪いのは私なんだ。誤解、しないで。本当は、きみのこと、好きで。
だけど、言葉に、出ない。
「ち、違う。」
でも、いま誤解を解かなければ、もう昨日までの会話なんてできない。そう思った。そしてそれは間違いない。だから、お願い。浅野季沙、勇気を、出して。
「私、さか・・・もとくんのこと、嫌いなんかじゃない。むしろ、きみとはこれから良好な関係を築き上げたいと思っているくらいで、だから、その、うまく言えないけど、嫌いに、なら・・・ないで。」
好き・・・とは、言えなかった。それは、まだ私に勇気がないからでもあるし、いまの彼の一言の質問が、彼が私に好意を持っていないという確信になったから。
「……うん。そっか。それならよかった。」
「ごめん。手伝ってもらったのに。嫌な思いさせちゃった、ね。」
「そんなことないよ。結構楽しかった。」
「そう?」
「ん。じゃ、また来週な。水曜日までそれバレるなよ。」
「うん。ありがとう。」
最後に。ようやく私は、彼の顔を見て、お礼を言うことが出来た。まずは、大きな一歩を踏み出せたと思う。
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―・Makoto Sakamoto・―*
―・Kisa Asano・―*
―・Saki Asano・―